八木哲也八木 哲也です。地元の愛知県豊田市・みよし市の地方新聞「矢作新報」(H30.3.23)に掲載された私のエッセイ「時々刻々 No.852」をご紹介します。

【「時々刻々 No.852」】災害大国日本の防災・減災対策は

3月11日、東日本大震災7周年追悼式に参列した。この職(衆議院議員)をいただいている間は必ず参列しようと思う。それは日本人としてあの惨事を「わすれない」、そして心の中で「風化してはならない」と戒めているからかもしれない。

追悼式に参列するため上京したのは前日10日の夜。そのとき、ある記者から突然メールが届いた。「財務省は森友学園を巡る文書に書き換えがあったと認める方針を固めた」と。これは政権を揺るがしかねない。エライことになる。翌朝まだ薄暗いなか目が覚め、コンビニへ走った。各紙を眺めると、朝日新聞以外のすべての新聞の一面に「森友文書書き換え認める」「決裁文書複数存在」と載っている。毎日、読売、産経、東京は1面トップ。さらに毎日は「佐川氏が指示」と一歩踏み込んだ。大きな政局にもなりかねない激震だ。

財務省は正確な情報を国会に提出して真相を究明するべきである。そして政治は理性的に方向性を示し、国民に説明責任を果たさなければならない。国民に十分に理解されるため丁寧なプロセスも問われるだろう。

さて日本経済新聞と朝日新聞は11日付け朝刊1面トップに、東日本大震災を据えた。私は安堵した。震災から7年たってもいまだ大きな傷跡を残す現実から「目をそらしてはならない」という、マスコミの良心のように思えたからだ。

11日の追悼式は秋篠宮同妃両殿下ご臨席のもと、午後2時40分から開催された。同46分、地震発災時刻に合わせて黙祷。岩手、宮城、福島各県の遺族代表の方からの言葉があった。福島でご主人をなくされた五十嵐さんは、「夫は『ひで子〜』と3度叫び・・・あの時、『父ちゃん、早く逃げっぺ』の言葉さえ言っていたらと自分を責める気持ちでいっぱいでした」と語った。被災された方々はみなつらい思いをされたはずだ。残った方々は、その後も非常に重い感情を持ちながら、日々を生きてきたことと思う。

震災の年に「一年を表す漢字」には「絆」が選ばれた。日本だけでなく、海外にも絆が結ばれた。復旧、復興に各国が立ち上がった。発災当時47万人もいた避難者は、7万人まで減り、災害公営住宅の建設や、高台移転事業は9割以上が済んだ。原発事故の被災地では放射線の空間線量率が事故直後から7割減った。避難指示が解除され、残る避難指示区域は370平方㎢、福島県域の3%になった。

だがこうした数字を並べてもむなしく感じる面もある。安全で安心した生活ができるふるさとはまだ取り戻せたと言いがたいからだ。それには原発の廃炉・汚染水対策などまだ多くの課題が残る。

東日本大震災後も、熊本地震、北九州北部豪雨、御岳山、草津白根山や新燃岳の火山噴火など大規模な災害が相次いだ。日本はやはり災害大国だ。政治は災害が起きる前の平時の防災・減災対策にもっと力を入れ、「予想外の大災害」という言葉を一掃しなければならない。

「教訓つなぐ」。被災地の岩手日報は11日付け一面トップでこう見だしをとった。この言葉が第一歩になる。

政策コラム執筆者プロフィール
八木哲也八木 哲也 愛知11区【衆議院議員】
生年月日:昭和22年8月10日
当選回数:3回
学歴:1972年3月 中央大学理工学部管理工学科卒業
得意な政策分野:経済産業 科学技術・イノベーション 文部科学 地方創生